アカウンタブル(自責)になろう
アカウンタブル(自責)とは
アカウンタブルとは、自責という意味です。
7つの習慣で取り扱っている、主体的という考え方も自責ですね。
社会には指示待ち人間、無責任な人が蔓延しています。
勘違いしないで欲しいのが、指示待ち人間だとしてもこれが確実に仕事をこなしてくれる人なのであれば全然OKだと僕は考えています。
指示されたことを確実にこなす。
これも自責をしっかりもってプロフェッショナルな行動を取れている為です。
ただ正直今後そういう仕事はロボットに奪われていきそうだとも思っています。
今は機械的に正確な仕事にも需要がありますが、今後どうなっていくかはわかりません。
少し脱線してしまいましたが結局何が言いたいのかと言うと、自分のやることに責任を取って欲しい。
ということです。
- 物事を進めるのに妥協なんていらない。
- 一人一人がしっかりと物を完成させれば誰も困らない。
- しっかりと納期を守ろう。
そうしないと、責任を取る優秀な人間に全てが集まりそういう人は人間の許容範囲を超えた自責に潰される。
でも、そんな世の中じゃアカウンタブルな人は潰れてしまう
これ、上にも書いたけど現実として大いにあると思う。
一所懸命に働き、成果を出す。
でも周りの人間は無責任で一人で頑張る。
その結果、頑張った人には名誉とノウハウ。
しかし、頑張らなかった人には何も残らない。
次新しい試練が同じチームに降りかかった時、
レベル100の頑張った人とレベル20の雑魚がいるという現実。
これを繰り返すと、次もまたレベル差が開いて次の試練。
周りはよくできるチームと勘違いするが、できる人間は僅か。
辛すぎる。
いる人間と自分をフル活用して何がなんでも終わらせる。
それに加えて利益を出し続ける。
これがマネジメントらしい。
違うと思いたいけど、そうすることしかできないのも現実。
苦労は買ってでも取りに行けとかいうけれど、大体先人の知恵でどうにかなるはずの現代で、会社っていう組織に所属していてどうして大きな苦労を背負う必要があるのだろうか。
経験になるのはわかる。
それなら会社になどいないで、一人で仕事したほうが余程良いんじゃないかと思えてきた。
人と仕事する意味。
使えない人間を使わないといけないマネジメント。
どこに面白さを求めたら良いのだろうか。
きっと雑魚で大物を食えた時の達成感なんだろうな。
結局勝てなかった時は死ぬしかないんだけど。そういうスリルも楽しめってか。
まぁ、本当にやばくなったら会社が責任を取ってくれる時点で自責ではない?のかもしれないとは思えてくるけど、自分が思う責任の中の最大限では頑張っていこうと思う。
なんか、まとまりなくてすいません。
人のせいにする人は成長しない。自責化と他責化、当事者意識と被害者意識のあいだに見る成功する人、しない人。 10分で読めるシリーズ
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