常識は国単位のある種宗教のようなもの
何かのTweetで見かけました。
『常識は宗教』
— みぞ@タガタメブロガー (@mizo_sgame) October 2, 2018
確かにねぇ。
合わないなら寄り添う必要もない。
それで生きていけるなら自己責任だし、アリかもね。
本当にその通りだと思います。
日本だけなのかどうかはわかりませんが、
- 普通は○○だ。
- こうするべきだ
- 常識的に考えて
- 一般的には
とかとか、すぐにそういうことを言いますよね。
ただ気付いて欲しい。
そういうことを言っている時点でその人は、『自分の常識を相手に押し付けている』ということを。
そんな時に思ったんですよ。
常識ってやつは、国単位である種宗教的なものなのではないか。
と。
多くの人が定義されていない常識に縛られ、従い、行動する。
それに従わない人間は除け者にされる。
まさに・・・宗教って感じですよね。
これが最近本当に怖くて仕方ないです。
もちろん最低限合わせる指標としては機能しているし、完全に否定するつもりはありません。
それでも、その指標に完全に依存している状態、それに加えて自分の常識という宗教を他人に押し付ける。
これが会社などで凄くストレスになっている印象を覚えます。
親が子どもに押し付ける常識もそれですね。
何よりもまずは相手の声に耳を傾け、相手の意図を理解した上での語りかけではないと押し付けになってしまいます。
まずは一呼吸おき、何故自分と相手の考えが違うのか?
をよく考えて行動したいですね。
自分がいくら正しいと思っていても、それは自分の考えです。
自分の考えを過信せず相手と向き合い、それでも自分が正しいと思ったら、相手の意見を尊重しつつ自分の意見も伝えてみてはいかがでしょうか。